令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
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3 私の大きな転機は、高校3年の時に出場したソウルオリンピックです。 それまでの私は部活を頑張りながら学校行事を楽しむ普通の高校生でした。特に記憶に残っているのが、高2の冬に体育の授業で足首を骨折し、松葉杖で旧校舎の狭い石階段を上るのが大変だった事です。そのケガで部活を休むことになり、初めてアーチェリーが好きなんだと実感するきっかけになりました。 そんな私が高校生でオリンピック選手になれたのは、ただ運が良かっただけだと思っています。何の心構えも準備もない状態で出場することの大変さを知ることになり、私自身は変わっていないのに、周りの環境や見る目が変わり、なかなか変化についていくことが出来ないまま本番を迎え、悔しい思いだけが残る大会になりました。 その後は実力でオリンピックに出場したいという目標ができ、日本体育大学への進学を決めました。厳しい環境の中で人間的にも技術的にも成長し、バルセロナ大会に出場するという目標を達成することが出来ました。 大学卒業後は、4年間母校で期間採用の教員となり、競技生活14年間のうち7年は甲府一高で過ごし、私にとってかけがえのない場所となりました。 オリンピアンになると「日本」を背負い、見本となるべく行動に注意しなさいと教えられます。あれから30年近く経ってもその教えが私の中に強く残っており、そうあるよう努力しています。最後に、このような機会を頂いた事と、コロナの大変な中でご尽力頂いた幹事の方々には大変感謝しています。 「この2年、コロナウィルスに本当に振り回された!」一高のP T A活動や同窓会についても、多くの行事が規模縮小、延期、中止を余儀なくされ、いかにして開催するか模索し、計画を何度も練り直し・・の繰り返しでした。 当初は、うまくいかないこと、予定通りに行かないことに腹をたて、苛立ち、どうやったら思うように行くかばかりを考えていました。しかし、状況が好転しないことが続くうちに、「まあ、こんなこともあるさ」「できる範囲でいかに楽しむかだな」と思うようになってきたのです。 『キャンプ』を例にとると、どんなに用意周到に準備をしても、自然相手にどうにもならないことが起こります。風が強かったり、大雨が降ったりするだけでも、こちらの思い通りに進まなくなります。しかし、キャンプとなると、その状況において、足りないものの代わりに何をあてるか、その場その場を乗り越えるために自分でも感動するくらいのひらめきが生まれたりします。苦しい状況や思い通りに行かないことが、後々いい思い出や笑い話になります。 いつも通りになんとかしようと力むのではなく、置かれている状況の中で、いかに楽しむか、新しいアイディアを生むかに注力すると、全く違う視点を持って柔軟に対応できることに気づきました。 これからの残りの人生、コロナのような見えない強敵もあれば、数々の試練があるかもしれませんが、キャンプに行った気分で向き合ったら、自分なりに乗り越えられるように思っています。41私とオリンピックと一高恒吉 恵子(旧姓 中込)キャンプに行った気分で若月栄治

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