令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
42/148

3 「いい高校で3年間を過ごしたことは大きな財産だよ」。亡き義父にこう言われたことを今、しみじみと思い出している。夫の実家に挨拶に訪れた際に出身高校を尋ねられた時のことだ。 人生100年時代と言われる中、私は人生の折り返し地点ともいえる50歳を超え、51歳になった。大学入学・卒業、就職、結婚といった多くの同窓生が辿った道と違い、私は高校卒業と同時にある演歌歌手の付き人として社会人の舵を切った。 それからデビューも果たし34年、地方巡業を繰り返し、歌い続けてきたが、コロナ禍は私に立ち止まる時間を与えてくれた。甲府一高同窓会の幹事年にあたり、これまで多忙のため疎遠だった同級生たちとやり取りを頻繁に繰り返す中で、社会人としての経験や常識があまりにも少ないことに気づかされた。日頃付き合うのは、歌手仲間、音楽事務所関係者、ファンの方たちで、悲喜こもごもあったが、基本的には拍手を浴びる暮らしで、毎日が披露宴のような華やかさの中で過ぎていたからだ。 この現実に直面して私は大きなショックを受けた。しかし、それを跳ね返し、生きる勇気を与えてくれたのが、同級生や先輩、恩師の先生方だった。同窓会の幹事の仕事は、足を引っ張ることも多く、叱責される機会もあったがある一方で、「まり子、気にしなくていいぞ」と励ましてくれ、多くのアドバイスをもらえた。 冒頭の義父の言葉と甲府第一高校の校是「Boys, be ambitious!」が胸中によみがえり、教育の大切さ、ありがたさを改めて感謝する日々である。 皆様、コロナ禍の中いかがお過ごしでしょうか? 私の患者様で90歳の方は「大東亜戦争の前と終戦後みたいや」とコロナ禍を表現してらっしゃいました。大変な時代になりました。因みに私は、現在、京都市在住で応診専門の鍼灸師をやらせてもらっています。 京都へは一高を卒業させてもらい大学から住んでいます。京都在住はかれこれ30年以上で、実家は今でも遊亀公園の近くにあります。今から思えば、一高で学ばせて頂いたころはバブル景気に湧いた良い時代でした。 そのころの私はと言うと、平和通りの中楯で来る日も来る日も泳ぎ、学校→プール、またはプール→学校→プール、練習が増えることはあっても、減ることはありませんでした。そんな甲斐もあって競泳では全国で優勝したこともありました。 私にとって学校は、唯一普通の高校生らしい時間と仲間。学食でアイスが売られるようになると、昼弁の時に最低2個は食べ、ドラキュラアイスが大好きでした。練習が増え学校がなくなる夏休みが嫌でした。 今となっては生活の中に水泳の「す」の字もありません。しかしながら、一高の仲間とは付かず離れず今でも続いています。 一高の同級生っていいですよ。一高の同輩はいいですよ。山梨はいいですよ。 そうそう、何年か前に「保育士」の免許を5年かけて取りました。 いずれは山梨に帰り、大好きな子どもの保育に関わる仕事がしたいと思っています。 その時は一高の同輩に声をかけ助けてもらいます。 その前に、焼き鳥でも食べながらキューっと行きますかっ! それまで皆様お元気でっ!40感謝神崎 真理子(旧姓 清水)ドラキュラアイスと焼鳥輿石圭太郎

元のページ  ../index.html#42

このブックを見る