令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
14/148

12 人生には様々な出会いがある。何の感慨もなく過ぎ去って記憶の彼方に埋没してしまっているものが大部分である。が、大きな影響を与えその人の人生を実り豊かなものにしてくれる忘れがたいものもある。私にとってはその一つが甲府第一高等学校と君たちとの出会いである。 今ここに2冊の分厚いクラス文集「徒然草」がある。もう30余年も経っているのだから多少薄汚れてはいる。手にとって頁を手繰ってみると私はたちまち君たちに出会った頃に引き戻される。そして一人ひとりの高校生の時の君たちの顔を思い出す。もちろんあの頃のがんがん突っ走っていた怖いもの知らずの私自身の顔をも。つい時間の経つのも忘れて読みふけってしまう。それにしてもクラス全員がよく書いたものだと今更ながら感心してしまう。あの頃はまだまだ現在のようにワープロなどという便利なものは一般的ではなかったので、みな手書きである。それぞれ特徴のある肉筆は一人ひとり自己主張しながら私に語りかけてくれる。そして製本の仕方は司書の先生に教わり、各自が自分のを仕上げたのでデコボコもしていたと思う。私のもゆがんでいるが、放課後ワイワイ言いながら作った光景が眼に浮かぶ。研修旅行、山梨県高校生平和論文コンクール作品、年頭所感、強行遠足、私の一冊、私の尊敬する人、ショートスピーチ等など。一人ひとりが存分に自己表現をしている。実に個性豊かなもので、いろいろなことに興味をもちよく考えていたなあと感心する。 また君たちと私との間を行き来した「クラスノート」の存在も忘れがたい。これは1冊しかないのだから、私の手元にしかない。このノートは私にとっては刺激的であり、ちょっと怖いものでもあった。誰がどんなことを書いてくるのかわからないし、かなり挑戦的な、どんなふうに応えたらいいのか難しい内容のもあった。私自身君たちに試されているようでもあった。が私はかえって奮い立つ気持ちにもなって、うちに帰ってから机に向かって一生懸命書いたものであった。私の返事が君たちにとって納得のいくものであったり、満足の得られるものであったかは心もとないのだが。とにかく君たちとの2年間は刺激的であり、緊張の連続であった。しかしその緊張の2年間は教員としての私を鍛えてくれたばかりではなく、教員の仕事は生徒に知識を言うに及ばず生活全般いろいろなことを教えることとばかりおもっていたが、実はかなりの部分生徒によって教えられているのだということを思い知らされ、眼から鱗が落ちたのである。 英語の授業においては多読が英語力をつけるという考えを実践すべくかなりハードな課題を課した。英文の小冊子を2ヶ月に1回ぐらいの間隔でそれぞれが読み、理解度のテストを受ける。強制され大変だという不満も耳にしたこともあったが、私自身テキストの選定、テスト問題の作成とかなり大変であった。次にどんな本を選んだらいいか生徒に負けてはいられないと歯を食いしばってあれこれ英文の物語、論文、エッセイなど読んだものである。 ひとつ印象深い授業がある。それは冬休みの課題として、公民権運動の指導者キング牧師の演説を暗誦してきて全員が皆の前で発表するというもの。聴いている生徒は発音や声の調子、表現力など項目別に採点する。期待やら不安やらいつもの授業風景とは違う雰囲気の中、一人の辞退者もなく皆精一杯頑張った。なかには演説全文を見事なパフォーマンスでやり遂げた者もいた。実を言うと私も暗唱して生徒を前に発表するつもりで準備していたが、生徒達に圧倒的な迫力を見せつけられ、頭の中が真空状態になってしまったのである。完敗であった。30余年経た今でさえ恥ずかしさと共に懐かしく思い出すのである。 いずれにしろ、私は君たちとの出会いによって多くを学んだのである。そしてこの学校は教員にも生徒にも最大限の自由を与えてくれていた。だから私は思い切って君たちに挑戦できたのだと今更ながら思う。何にとらわれることなく何事もとにかく一生懸命やってみる。 甲府第一高等学校とは実に懐の深い学び舎であった。忘れがたい出会い4組担任 保坂 すみ子

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る