令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
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10 令和3年3月31日に、山梨県立高校の教員を退職しました。昭和60年に甲府第一高等学校を振り出しに5校で山梨県の高校理科(化学)の教員として36年間働いてきました。今回の当番幹事の皆さんは、私が初めて担任した生徒たちで、この様な機会をいただき感謝しています。 昭和61年4月に1年5組の担任になりました。当時の一高の先生方はベテランばかりで20代の教員が数名しかおらず、まして「教員2年目で初めての担任になることはない」と言われていました。今にして思うと、千野恒夫学年主任の下、担任として生徒と一緒に過ごせた3年間で教員としての基礎ができたと感じています。教員の振り出しが一高で、とてもありがたかったと思っています。 1年生、4月の入学式、愛宕山青少年センターでの1泊2日の宿泊研修、2月の長野県霧ケ峰スキー場での1泊2日のスキー教室。2年生、10月の奈良京都の3泊4日の研修旅行。3年生、1月に年号が昭和から平成に変わり進学調査書の書き直し、3月の卒業式。あっという間の3年間でした。初めての担任、一高祭、野球応援、研修旅行等、各行事毎に生徒や先生方と一緒で、緊張した場面、楽しかった場面、感動した場面、いろいろな思い出がたくさん蘇ってきます。 一番の思い出は、強行遠足です。4年間小諸検印所勤務でした。学校から各検印所の荷物を持ってトラックで生徒の歩くコースに沿い、野辺山・小海・臼田等各検印所を回って小諸まで行きました。設営しているときには何か特別な感情を抱きました。小諸検印所ゴールの設営をした後、生徒が到着するまで休憩と仮眠をして生徒のゴールを待つのですが、いつ先頭がゴールするかわからなくてなかなか仮眠できませんでした。先頭がゴールをしたときは、勝利の喜びを生徒から感じました。しかし、今でも思い出すのは制限時間ギリギリにゴールする生徒が疲労困憊しながらもゴールにたどり着いたときの充実感や達成感に溢れる姿と、足を引きずりながらも小諸駅に向かう姿です。コロナの影響等で以前と変わってしまったかもしれませんが、ニュース等で「一高の強行遠足」のことが出ると、一高生や同窓生の強行遠足への思いを強く感じることができ、小諸検印所勤務の時のことが思い出されます。 87歳になる一高出身の伯父がおり、正月やお盆にあいさつに行くたびに、高校時代の話を聞きました。校舎や授業の様子、クラスメイトのこと、その仲間との交流が今でも続いていること。一高の同窓生のすばらしいことをたくさん聞きました。残念ながら私は一高の同窓生ではないため、伯父の話を聞くたびに寂しい思いがありました。しかし、今回のように一高同窓会に呼んでもらえることが少し自慢でいます。回 顧2組担任 窪田 敏章

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