令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
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 第142周年甲府中学・甲府一高同窓会総会の開催、誠におめでとうございます。また、平成元年卒業生の皆さん、当番幹事ご苦労様です。総会の成功を祈念いたします。 記念誌への寄稿は3回目になるので、重複した内容もありますがご容赦ください。 結論を先に言うと、私には記憶に残る良いクラスでした。千野先生からの要望は「問題を起こさせるな」でしたが、大きな問題もなく卒業の日を迎えられましたし、楽しいクラスでした。例えば、遅刻指導週間。「絶対につかまるじゃあねえぞ」「つかまらなきゃあいいだけ」「それは俺の口からは言えん」翌日のSHR。さながら報告会。「○○は体育館の下窓から入ってきただよ」「××は壊れた金網をくぐってきただよ」などなど。例えば、教室は窓の小さい牢屋のような部屋。「どうして俺たちはこんな教室になったで」「しょうがねえら。女クラをいれるか?」この言葉に皆「しかたねえなあ」という顔。例えば、某日。某先生が慌てて職員室に入ってきて、「教卓に○○(避妊具の箱)が置いてあったぞ」「わかりましたよく注意しておきます」帰りのSHR。箱を開け「置くなら、中身も入れておけ」。一件落着。 漱石の「坊ちゃん」ではないけれど、旧制中学校もかくあらんというクラスでした。多少まとまりには欠けましたが、男気のある良いクラスでした。国語の教員で理系男子クラスの担任をした教員は数少ないはずで、今も自慢の一つとなっています。9近況について 定年退職後、再就職を断って月1、2回のゴルフと年一度の海外旅行を楽しみに、家庭菜園程度の農業をして余生を送っています。農業は、花と野菜をほんの少し、妻の名で「道の駅とよとみ」に出荷していますが、学校の楽しさを思うと私には教員が合っていたとしみじみ思います。ゴルフは、親睦が主の下手の何とかですから何も書けません。旅行は、今はチベットやサハラ砂漠など変わったところがメインです。他に人権擁護委員(4年で卒業)、地区長、農地換地委員、農業委員他をしていて多忙です。思い出 3月末。千野先生が3学年職員室に来て「一高を頼むよ」と言って出ていきました。「えっ」と思いました。1年前同じことがあり、私は三年の担任になっていたのです。案の定、次年度は皆さんの学年に配属されました。ここでまた「えっ」と思うことが起きました。男子クラスの担任に指名されたのです。国語の教員が理系の担任。あり得ない。人材不足?近況とあの頃の自分のこと1組担任 中込 富夫

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