令和4年度同窓会記念誌 希望の光 ~新しい世を照らせ~
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8 第142周年同窓会当番幹事のお役目ご苦労様です。世界中を震撼させ未だ終息していない新型コロナウイルス感染症で、社会活動は大きく様変わりし、同窓会総会も、準備計画に基づき行動しようにも制約され歯がゆい思いをしたことと推察いたします。皆様方のご苦労に、心から敬意と賛辞を送りたいと思います。私は母校甲府一高を昭和33年卒業、昭和37年から教職につき15年目の昭和51年4月母校に赴任、平成4年3月まで教諭で平成6年から2年教頭をし、教職年月の約半分を、先生方・生徒諸君・保護者の皆様方から多大なるご指導ご厚情を頂き充実した日々を過ごせました。私事で恐縮ですが、本年教職を退職し23年目、傘寿を過ぎ多々ある思い出も記憶から遠ざかりそうですが、2つ程披露しましょう。(1) 赴任時山下校長から校務分掌は体育振興係・強行遠足担当に命じられ、以降10年間その任に関わりました。毎年の初仕事は入学式後に校長他関係教職員で帯那の脚気石神社に安全祈願詣で始まりました。当時の佐久往還道は8割未舗装の為に、血豆や水膨れが生じ救護所の対応は大変でした。道も狭く、弘法坂や野辺山・海ノ口間の曲道は特に心配でした。昭和50年代は経済発展に伴い道路拡張工事や市街地再開発工事が各所でしていました。その為に毎年コースや検印所の一部を変更せざるを得ませんでした。調査や依頼の為に20回以上佐久や小諸へ出かけました。「帰路は小海・中央線を利用して帰宅、翌日10時までに登校して校長の終了宣言までが強行遠足だ」これが伝統行事の本髄だと雄心伝えしてきたものです。NHK・民放や雑誌社の強行遠足取材が何年か続きました。中でも、全国放映で「NHK新日本紀行」の反響は大きく、他都府県で働く同窓生から「昔を思い出し泣けた!」「生徒の真摯に取り組む姿、頑張る姿に心打たれ感激した」等の感想が多数届きました。強行遠足は、人の絆・人を思う心・自己を鍛える素晴らしい行事です。(2) 当番学年の皆さん方の望月校長に仕え感服したこと①当時県内高校初のことでした。保護者の申し出があればバイク通学を許可して良い。運転免許は公安委員会が認め収得、事故の責任は学校で負うべきものではない。②生徒会長が新入生に「おまんとうはな!?」下品に聞こえる。「別の言葉で先輩の風格を持って言えないものかね!」小林前期会長に話すと、「わかりました!」「君達新入生諸君!」と言ったのです。まだまだありますが、最後になりますが、当番幹事の皆さん方から卒業記念に立派なモニュメントが学校に贈呈されましたが、覚えていますか?母校敷地内を探してみてください。文字は書に長けた望月校長自筆です。私は年齢相応に体力は衰えてきていますが、気持ちは青年です。皆さん方のご健勝とご多幸をお祈りいたしています。思い出に感謝学年主任 千野 恒夫

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